プロットを書きたくても書けない人間
少し前、Twitterでプロットを書くべきか否かみたいな論争が(めちゃくちゃ前)だけどあった。
snsが中心に立てる環境が整ってから色々変わったね、匿名で気軽に意見を投稿できる。素晴らしいことだ。それは創作にも言えてTwitterでイラストをぶち込むだけの人も多い。
そんな訳で一切プロットを使わない俺が中立にみてソレが必要なのかについて考えていこうと思う。
根本的にプロットとは? 再確認しておこう。
物語の設計図である。それ以上でもそれ以下でもなく、その完全上位互換が世に出てくる小説。終わりと始まり、内容を書きためることで忘れて泣く事を避ける効果がある。
このブログは非常にいい加減なもので話したい事を頭の中に置いておき、それを適当な文章でリレーのように繋いでいく。話し終えたらもう終わりにするので、この場合プロットは必要ない。
なぜなら忘れる前に書き終えてしまうからだ。
じゃあ、小説は? 正直プロットが必要か否かで言えば必要だと思う。
だって数ヶ月書かなかったら忘れちゃうもん。そんな時でも思い返せるのは強みだよね。
創作が安定はする。西尾維新の執筆速度が音速なのも事前にプロットを書いてるからだろう、俺もプロットを敷けば音速で書くことならちょろいかもしれない。
それに伏線を敷きたい放題確認放題、ミステリーとかでは無しなんてサヴァン人間しか無理ってよく言われている。
結論、その方法が取れるならお前はプロットを使った方がいい。
じゃあじゃあ、なんでブログ主のおめーはプロットを書かないのか?って思わないか?
この論争の中で生まれた言葉は『書く』『書かない』このふたつしかない。
本音から言おう、俺はプロットが『書けない』、書くことが出来ない人間です。
えっなんで? って思われるかもしれないけど理由は簡単で同じ話を2回も見たくないからって言うのと書き直すのが面倒って所が大きい。
まず俺は映画とか見たら二周目は絶対しないし、アニメとかしょうせつもほとんどない。内容を忘れてもみたいとはおもわないね。
1回見たらはい終わり、一期一会なのは創作にも言えてて自分で小説を書くって言うのは書きながら『俺自身が内容を楽しんでる』っていう面がある。
書く=読書を楽しむという方程式が俺にはある。
そんな俺がプロットなんて先に書いたらもう分かるでしょう? 小説にする段階で飽きてしまう。だから書けない。
次に、書き直すのがどちゃくそ面倒。俺は漢字を読み以外覚えてない為、紙に書く事が絶望的なんだが……
デジタルメモでプロットを書くとしたら書き直すのが面倒面倒、例えば第5話変えたらそれから最新話を全部変えなきゃ気が済まない。
しかもそれが頻繁に起きる、プロットを書いた時と実際の話は少しずれる。ズレた時に面白い話が産まれたらもうヤバい修正が待ってる。
飽きるのもあわさってそんなことしてるとめちゃくちゃイライラしてくるんだよな、なんで俺はプロット書いててイライラしてるんだ?ってことにもイライラしてしまって。
とてもつまらない。プロットってお金くれても書かないよ。
はあ? 創作つまんなくねってなったら本末転倒っしょ。だから書きませんし書けません。
それに俺だけかもしれないがあんまり忘れるって事がない。
前回の話を見たら「はいはいなるほどね、昨日の俺はここまでやってくれたと」って済む。設定の確認も小説の中にあるのでその話を見たら大丈夫。
というかその話の中で見つからない裏設定って作る価値ある? ないでしょ。
入れたい伏線とかも今も何個か頭に入っていて、どの辺に埋めるかもだいたい決めてます。
したい展開とかはジャンルの時点で何個か考えてて、それを通過点として考えてる。通れるように話を動かす。
最初の数話ルート構築も同時にするから苦労するけど、そこまで超えたらなんとかなる感じ。
やっぱり今この場所連れてった方が面白いだろうなってなる時も簡単に実行できる。
別のパターンだとある読者が『こここーしますよね?』って言ってきた時に『図星で抜かれた!悔しいから逆にこうしてやる!ふはは!俺の勝ち!』って簡単に路線変更できるのがプロット無しの強み(大人気ない)
もちろん、内容もめちゃくちゃしっかりさせて悔し涙を飲ませる。
出来るかどうかも頭の中でありうるルートを考えて、できなさそうな時は素直に俺が泣く。悔しーって。
推奨は絶対ないけど、描きたくても書けない勿体無い人も居るって話でした。
待って? もしかして脳内プロット派?(別勢力)