なにをする前に、結論が待ち伏せる
掃除をするにも、何かを作るにも。
『そんなことしてもな』となる。
よく言えば慎重、悪くいえば怠惰。
実際は怠惰どころではない。こんな小さなことに考察と議論と検証を重ねているということが非常にまずいと言える。
この程度の行動を取捨選択しないといけない状態になっている。
仮に掃除が50の気力を奪うとすれば、現在の気力は80ほど。
こうなると掃除をすることに気力を割く議論は必要。
普通にヤバいとかそういう次元を超えて異常なほど弱体化。
めんどくさがりなんて言葉が優しく思える。
これも正常ではない証拠と言える。
なので誘いはプラスしかないのに上司の飲み会に思えてくる。
しかし上司の飲み会だと思うのは、上司の飲み会だからである。
ゲームの中のそれすらも上司の飲み会だと思うのは、すごく悲しい。
日々力が奪われていく。それは抗えない。
アフリカの子供の方が悲しいと真剣に思っていたのに、そう思えなくなってくる。
友人を要らないと既読スルーして通知を切っている状態にしてアフリカの子供より幸せだと感じる。
これは本当にアフリカの子供より幸せと言えるのか?