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ブロント語はブロント語、お前がブロントならブロント語が分かるブログ

恐らくブロント語でブログを開設したブロンティストは自分しか居ないでだろうな。居ても生きがってるそいつを俺がギガトンパンチで殴って殺すという理屈でおれの価値は今後もさらに高くて忙しい、お前らも早く強くなっておれを休ませてくれよ。

コンサータを飲んだら人生がゲームに変わった


 コンサータを飲んで感じたのは『これは依存してもおかしくない』

 ただ、一般的な覚醒剤で言われる打ち込むだけで快楽が押し寄せる魔法ではない。

 結論から言うとADHDから見たコンサータ服用後は人生がゲームに変わる。

 仮面ライダーエグゼイドみたいにゲーム世界に飛び込むような。

 今までなにかしても達成感はなくて、終わったという事実ばかり残っていた。次もやろうとか気持ちよくない。

 みんなはこれ終わったらお菓子を食べようと考えたことはあるかな?

 ADHDにはそれが魅力に映らないのでお菓子を食べてからエネルギーを付けてから、これ終わらせようってする人が多い。

 理由は報酬に期待が持てない、報酬が報酬の役割を果たしているように映らないから。なぜか?終わったあとには何も残らないから。

 そういう風にADHDはできてる。感情の上下が少ない弊害、ドーパミンが少ない弊害。

 しかし、薬を飲むとそこが変わる。何かが終わったあとに達成感があると知る、快感があると知る。

 簡単に快楽を得たい。そう思うと簡単な作業、わかりやすい作業、前からやっていたことをやらせてくれってなる。

 それの王道が家事。掃除とかもそういう立ち位置にはある。

 逆にまだ複雑、時間のかかることはできない。短期プロセスの中に快楽があるという事実はあるが、長期プロセスの先に快楽があるとはまだ考えられないので実行に移せない。

 家事はゲームだ。クリアすると達成感がある。

 もちろんこれは自分だけかもしれない。

 そんな自分が本家のゲームをしたらどうなるか、すごく楽しい。やめられない止まらない!

 薬を飲んでするゲームは最高だ! 早く次のマッチに行かせてくれ!

 バトロワが流行る理由を垣間見た。簡単に快楽があり、気楽にマッチができ、APEXはさらに動きが早い爽快感!

 ゲームに求められてるのはこれだったのかと! そりゃ楽しいだろう!

 今までゲームといえば、経験やら鍛錬やらといった面が多く。

 小学生の時から嗜んでいたが、それはしている状態が楽しいだけだった。

 今は違う。快感が欲しいからゲームしてる。楽しい? 違う。

 勝てば気持ちいい。だから勝つ。勝つまでやる。強くなってやる。

 強くなればもっと楽しくなるから。簡単な話。

 家事も早くこなせば早く快楽が訪れる。そう考えると効率的にしたくなる。ぱっぱと、手際良く。

 ADHDはたんたんとなにか進めてるだけで、随分と機械的と定義するのが関の山。思うことなんてあるわけが無い。

 ただ、なにもしなければなにもしてないなって薬を飲んでても思うし飲んでなくても思うだろう。

 裏を返せば、薬が効いてるうちにもう1粒飲む。そんなことには二度とならない。なぜなら飲むだけで何かあるわけじゃないからだ。

 飲んで、ドアの前に落としてくれたコンサータの鍵でドアを開き、その中にある快楽を貪ってまた鍵をコンサータから貰ってその先のドアへ。

 ドアと鍵は実行と解決。その部屋にあるモノは快楽と次の実行と解決。

 わかりやすい例えじゃないか、ええ?

 何かをすればする度に元気になる。これが真実。



 逆に。コンサータが聞いていない時はなにか思うこともなく、なにもしなくなる。

 なぜなら、コンサータが聞いていない時に得られる事は限られていると骨の髄まで染みているからだ。

『薬を飲んでたらやるんだけどな』

 これが大半になる。これが、全てになっていく。

 飲んでないのにこんなことしてもな。滑稽だろ。

 鍵は没収され、中にある快楽は減らされ、鍵を探す手間を考えると動くわけもない。

 そして渇望する。『薬が飲みたい』

 薬を飲んでいたらもっと思うことがあっただろうにって。裏を返せば薬が切れたらさっさと寝ろよってことでもあるが。

 にしてはADHDだからと24時間ではなく12時間で生きろというのは無茶ではありゃせんか?悲しい話じゃありゃせんか?

 依存性があるとすればこういうところになる。薬を飲まないと動けないからだになる。

 物事が早く処理できないとかじゃない。なにかしても得られなくなる状態でなにかするのは酷く悲しいよ、俺は傀儡じゃない!

 悲運で死にたいって切れた夜はすごく思う。

 薬が切れたときに小説なんて書きたいと思わない。みんなはどういう気持ちで薬が切れたら創作タイムだねって言えるの?

 理解に苦しむ。このブログだってコンサータを飲んでから切れた状態で綴ったことはない。

 飲んでる方が創作できるだろうよ? だって達成感があるんだから。

 依存性しかない、薬がない人生なんてありえない。


 でも恐れないでくれ。俺は薬を勧める。

 ADHDのまま生き続けるのはゲームのNPCと、何一つ変わらない。

 変わらないで居ることを恐れてはいけない。既に変わってるくせに、変わることを恐れるな。

 今がダメなら変わらないといけない。変わってもいい機会すらも変わっていく。

 合法に変わる経験ができるのは俺達だけ。いつだって転職していいのは主人公だけ。

 副作用はわからんが、とにかく主人公になってみようぜ。

 薬を飲んで新型のリアルとやらを体験だ!