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恐らくブロント語でブログを開設したブロンティストは自分しか居ないでだろうな。居ても生きがってるそいつを俺がギガトンパンチで殴って殺すという理屈でおれの価値は今後もさらに高くて忙しい、お前らも早く強くなっておれを休ませてくれよ。

コンサータの副作用、食欲減退が結構やばい説ある


 飯を食う気がしない。これはどうしてか?

 それを考えて言語化するメタ認知

 戦をするには飯がいると聞くが、飯がなくても良いというのがコンサータでわかる。しかしそれは戦に限り、生活には良くない。

 そしてこの副作用、とんでもなくやばい。うすうすかんじてる。

 太る努力。この言葉が身に染みる。骨身に、少し脂身の減った腹を見て。

 外に出てないのに痩せてるというのはシンプルに飯を食ってない証拠でコンサータを飲み始めてからそうなのだ。

 なにこれ?新手のコロナを生かした空腹ダイエット?

 飲み始めてもう少しで二週間。

 体の中のつっかえは空腹なのではないか、そう思って仕方ない。

 つっかえた感じは体の悲鳴じゃなければ何?

 これらを解決するためにコンサータを飲んで空腹になる原理を科学的ではなく、感情的に言語化、そこから対策する。

 あくまで個人の感想の意見。

 シンプルに薬を飲んで飯を食わなくなるというのはドーパミンが悪い。胃の中にカプセルがあるからご飯食べた気になってるって先生に説明したんだけど、んなわけない。ばかだおれは。

 シンプルにドーパミンが原因。ドーパミンの役割は快楽、快楽の役割は実行。

 実行の役割は解決。快楽が減ったら実行しなくてはならない。それが生理現象、生きるという意味。

 快楽がある時には余韻に浸る。空腹じゃない時は快楽がある。

 空腹になった時に快楽は消え、まず不快感が出る。それは快楽が減ったから。

 そして食えば美味しいなどの感情、腹に貯まる感覚が快楽として蓄積され溜まりきったら満足になる。

 そう考えるね、俺は。

 ドーパミンを増やすコンサータはその快楽を補給する。何もしなくてもいい位には心地よい。

 そもそもドーパミンを増やすのはうつ打開薬のよくある内容。

 ひとまず幸せになってもらおう、これである。幸せじゃないからこそ幸せを知って立ち直れる。

 飯を食うとはなにか? いまと昔は違う。選べる今は戦争がない今は、飯は最高の娯楽、セルフドラッグのひとつ。

 そんな快楽を増やすコンサータは、食欲をもたらす快楽の減少よりも快楽を補給してしまう。

 不快感がない。だが腹は妙に空いている。でも食わない。なぜなら食べたいと思うほどふかいじゃないからだ。

 でも美味いものなら有難く食うだろう、なぜか? それは何もしないよりも『そのうまいものを食う』という行為の方が快楽が大きいことを知っているからだ。実際にその時は食うようにしているし食いたい食わせてください。

 仮に美少女がおにぎり程度を作っても食う。美少女のおにぎりを食うというのは勲章、快楽の塊、しないよりした方が心地よい。


 だが! うまくないもの、薬に関わらない食事は取らない。

 もう分かっただろう、うまくないものを食うという行為は薬が効いている今時点よりも快楽が少ないことを知ってしまったのだ。

 ドプドプと定期的に薬の快楽が落ちてくる。それの足元にも低品質な食事は及ばなくなった。なら動かない方がお得というのは、ナッシュ均衡ゲーム理論、大豚子豚のパラドックスに近い。

 対策は美味いものを食うしかありえない……。

 これはかなりやばい。まじでやばい。毎日500円払ってるのに更に食費に気を使えと?

 障害者手帳で交通費は下がる、障害年金もあるが、障害年金コンサータ代で考えるとプラマイゼロもしくはマイナスにすらなる貯金に近い。

 交通費が下がる?田舎でタクシー電車乗るくらいなら車持つ方が安いし仕事もある! まあ手帳あればうんこちゃんとマイクラできるかもしれないからいいね! 冗談だ。

 かなりやばいというのは、いくら薬飲んで基礎能力や集中力が人間に近づいてもこれはこれで普通の人間とは遠ざかるという意味で、かなりやばい。