コンサータが切れる前と後を踏まえて対策を講じる
コンサータ中に自慰行為をしてみた。感想は普通と変わらないが、普通の感覚で手を動かしたせいでめちゃくちゃ早漏だった。
ああ、ドーパミンが少ないとはそういう……。
キメセクのイメージは違うらしく、ひとつの動きで気持ちよく感じれる量が増えているという感じで最後の快楽がどっぱあああってなるわけじゃなかった。残念。
後は切れた後にfpsして分かったこと。
処理がまるで違うということがわかった。
薬が効いている時は色んなことを処理して考えれるが、切れていると明らかに同時にできない。
処理できずに滞り、薬のあるなしのギャップで思考が完全に凍る。空っぽになる。パンクする。
薬がないのにある状態での思考の仕方をするから「あれ? あれ?」って情報がつかみ取れずに滑り落ちる。
だけど体で普段通りに処理しようとしてくれてなんとか持つ、みたいな。
エイムはそんなに変わらないというか良くなる。考えれなくなるから、無我夢中のエイム。
本当にすごい雑魚になる。立ち回りが。
逆に言えば体に染みてる動きは関係ない。
これをoffとして、オンとオフの時にやり方を変える必要があると思った。
対策は一個あって、言葉にだすこと。
「これをこうして、あれをこうして」
そうすると体に染みていく。染みていった思考は最優先で処理に回り、残り、軸になる。
無意識にやっていたことと結合できるのはこれ。
あれをこうして、の間に足音が聞こえた時に、『聞こえたからこうして』敵を倒せば『倒したからこうして』壊滅させたら『体力少ないから回復して』漁夫が来たら『ここから来てるからここを塞いで』
擬似的に思考が二つに増える。イメージ的にはコーチング。
自分にこうした方が良いとアドバイス。これはゲーム以外にも使えることで、最近、薬を抜いた後になにかしないといけない時fpsする時はこうしてる。
例えば洗い物しながらラ王を食うとする。
皿を洗うことは無意識に処理できる、そこで余るのはラ王。
皿を洗いながら『お湯が湧いたらラ王を入れないと』皿を乾燥機に入れつつ『ラ王を見てお湯が溢れてそうなら火力を調整しないと』また皿を入れて『いい感じに混ぜれそうなら箸で混ぜないと』
という感じ。片方の判断を口にさせる。
基本的に状態の解釈と記憶は言葉で処理して格納しないと感じた。写真のように理解していつでも思い出せるように想像力として保管する。
言ってしまえば写真を見て滑り台を見て『さびた鉄の赤い台、滑る部分の角度はきついが、そこだけは子供の頃から変わらない銀色を放つ思い出の滑り場所』と記憶しないだろうということ。
ホモサピエンスの始まりの時は言語なんてなく、写像として(写像ってなんすか?)映像や写真で理解していたはず。
ナスカの地上絵のようにイラストで話を伝えていた。
このことを考えると普通は言語化しない。普通の人は、こうなってるかもしれないという想像力を働かせてシュミレーション思考をしつつ、洗い物をして時折確認する。
が、我々は洗い物という思考に全てを奪われていてリソースが足りない。
しかし言語化して発想や状況を保管するのは誰も使っていないことなので誰もがリソースを持ってる。換言するなら増設したら使える場所。
いくら考えれないとしても、口の中に言語化して保管することはできる。なぜなら人間は何も考えずに喋る機会が多いから。考えずに喋ることができる。
想像なんていらない。口の中でシュミレーション。
自己暗示とも言える。とにかくこれがいい。
そんなことしなくてもいいのがコンサータなのだが、切れてしまうと仕方ない。
fps系は思ったより話すことねえなー、焦ってないくらいかなー。
fpsとかより、想像力とか創作系にシフトしてみようかな。
コンサータ切れそうなんでおしまい。