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ブロント語はブロント語、お前がブロントならブロント語が分かるブログ

恐らくブロント語でブログを開設したブロンティストは自分しか居ないでだろうな。居ても生きがってるそいつを俺がギガトンパンチで殴って殺すという理屈でおれの価値は今後もさらに高くて忙しい、お前らも早く強くなっておれを休ませてくれよ。

事前に予定組むことをやって見た結果


 結論から言うと悪くないのだが、根本的にやらかした。

 まず薬飲むために起きて食って薬を飲んだのは良いが、いつもの二度寝から目覚めれずに一時までアラームを止めて必死に寝てしまった。

 なのでログホラ読めてません。すごくねむかった。

 だがそれ以降はそれなりにやれた、小説を書く時間をふたつ儲けたおかげで2話かけたし、棚の掃除もできた。

 こたつの掃除はできなかった。というのは途中でダイソーに出てしまったのだ。

 思ったより片付けが難航したのもあり、途中で小説を書く時間がやってきた。

 しかし食事を取ったので一つだけパーにできるボーナスということにした。

 明日はこたつをするつもりだが、うーん。どう片付けるんだ?

 置く場所がない。

 そんなことはともかく、1日1話から2話というのは大きい進歩。

 これには心の底から思ったことがあり、このアラーム通りに動かなかったら『この対策の意味、自分として生きる価値と決意の意味など、なにがなにやらわからなくなる』と思った。

 対策しても意味がないなんてあまりにも残念だ。

 しかも理由はシンプルにやる気のなさ。クズ。ドクズ。生きる価値がない。

 いくらADHDでも劣勢でも、少しくらいやったれよってこと。原因は出た、解決案は出た、実行は自分。

 これができないのはADHD関係ない。

 そう思ってこなした。結果的には指示通りに動ける感じで悪くない。

 ああ、俺って指示待ち人間なんだという思いでいっぱい。

 思い立ったらすぐ行動。もしこれに怖さを感じているとしたらどうだろう。

 すぐ行動してしまい、もし全てが消えていたことに気づけない怖さがあるとしたら、天才というのはまさにこれ。

 もしくはすることが沢山あって後ろめたさを感じている?

 沢山なくなれば、楽しく生きていけるのに。ならたくさんなくしていく。

 いや、もしかしてだが今まで無意識にめちゃくちゃやってきた分、意識してめちゃくちゃする方法を知らない?

 無意識というのは病気で抑えられない症状。これが治ったのなら、意識して動かないといかん。

 大変だ。無意識にしていたこと、ADHDに委ねていたことが多すぎることが分かる。

 例えば目の前のことをやっていて時計を見るというのはADHDの力を借りてやってきたことであって、意識してやったことはそんなにない。

 これはいいことでもあるが悪いことでもある。

 いい側面で見ると集中。悪い側面で見ると時間を超えて過ごす。

 まだまだ探究しなくてはならない。