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ブロント語はブロント語、お前がブロントならブロント語が分かるブログ

恐らくブロント語でブログを開設したブロンティストは自分しか居ないでだろうな。居ても生きがってるそいつを俺がギガトンパンチで殴って殺すという理屈でおれの価値は今後もさらに高くて忙しい、お前らも早く強くなっておれを休ませてくれよ。

うつの本質は考えること

 幸せとは、幸せとは考えていないことである。

 相手に『幸せって何?』って聞けばその瞬間から幸せではなくなる、ということ。

 おせっせしてるとき? 好きなもの買ってるとき?

 正解! してる時は幸せ。

 じゃあ考えてる今は? それをしていないから不幸。

 だからぱっと答えが出てこない上に、それが理由で今だけ幸せじゃないと感じる。

 これは幸せだけの話じゃない。

 肯定的な事と自分を比べた時に、自分を否定する可能性が高い。

 すごい友人を見て自分を比べた時の答えはすごくない。

 なぜなら凄いという概念に対する考察で動いていない現状は別に凄くないからだ。裏で世界を救ってようが、それを考えている瞬間は何一つ凄くない!

 ただこの例は『いや別に世界救ってるし? 俺の方が凄いし?』となるが、それすらない奴はどうなってしまうのか。

 何一つ、己が凄くないことに気づく。

 それは残酷にも等しい世界を地獄に変える。

 これって地獄だったのか? そう思えてくる。

 対策は一つしかない。気づく前に築くしかない。

 今後は地獄を天国に変える一夜城が必要になってくる。

 うつの本質は考えること。

 考えなければいい、気づかなかったらいい。

 そう思うのは簡単だが、それを阻止するのはスマホでありネットワークだ。

 出てくるニュース、出てくる情報源。

 有名人のおめでた婚、誰かの幸せは我々の幸せを聞いてくる。

 それを阻止する方法はその情報を遮断するしかない。

 そんなこと無理だ!!

 だから最近気を病むやつが増えてる。これはこういうニュースによってこういう負を考える機会が爆発的に増えたからだ。

 テレビのニュースだけだった頃とは大きな差。

 しようと思えば24時間ずっと誰かの幸せを聞くことが出来る。

 何かを成した奴はなんともないだろうが、それがないやつはどうなってしまう?耐えられるか?

 それを妬みと言うのは単純だが、凸して鬱憤を晴らすとはまた違う。そいつは死にやすい。

 安心してくれ、何も無いやつがそうなっても立ち直る方法がある。それは考えないことだ。

 馬鹿らしいだろう? 考えないことはできないと言ったのに、解決方法は考えずに忘れることしかない!

 しかし、それを大真面目に可能にするのがうつ病の治療薬。

 コンサータなんてストラテラなんて、本当はうつの為にあるようなものだ。これを飲めば何も考えなくなる。

 だがその方が、明らかに楽なのだ。だから飲むのだ。

 疲れただれた心を癒すようにゴクリと飲んでツーーッと無を演じる。糸電話みたいに受容待ち。

 そうでもしないと死ぬやつが真面目に居る。俺もこれ書いてる間は死にたい。かきたくなんかねえ。

 でも書くのは実績が欲しい、築きたい。

 死ぬやつの後を追って死ぬ奴がいる。有名人のニュースとかで。

 なんでだろう?って思ったことはないかな?

 感化されて死ぬ? そうかもしれないが詳しく言語化すると俺が言ってることが分かるようになる。

 まず有名人が死んだニュースを見て思うことは誰も同じだ。

『なんで死んだんだ?』

 ここから死ぬ奴は『この人より凄いか』と考える。

 幸せとは、凄いとは。

 何もかも自答の答えは決まってる。

 そしてこの人は既に死んでいる。

 この人より凄くなかった場合の死なない理由が無くなっている。

 なぜならこの人でさえ死んでいるからだ。

 この人より凄い人は生きるべきで、この人より凄くない人は生きるべきではない。たった一人の同調圧力に近い。

 ところで、相談というのは相手を選んで話を打ち明けることを指す。

 その相手を選んだ段階で自分がどうしたいのか、本当の結論は決まっているという。

 例えば親に死にたいと言うのと、Twitterの病み垢の誰かに死にたいと言うとする。

 前者は間違いなく否定してくるが、病み垢の誰かは肯定的に返す可能性が高い。こういう想像は簡単につく。

 だからこそ相談相手の段階で本心は固まりつつあるのだ。

 仮にだが、その相談相手が自分自身で、答えが自答だった場合の結論って……なんてな。

 考えるな、おしまい。